MY STORY

私が大人(二十歳)になった時に
「父親が違う」ということを突然、
母から告げられました。

生まれた頃の父親との写真は1枚もないし
育ての父とも全く似ていないし
小学生の時に突然、苗字が変わったので
薄々気づいてはいたものの、はっきりと母からは聞かされていなかったので
その話を聞いた時は正直「なんでもっと早く教えてくれなかったの!!」って
母に怒鳴りたかったです。

そんな母と私の壮絶な親子のストーリーです。

良かったらお読みください。





第一章 母子家庭

気が付けば夜、私は知らない人達が沢山いるところに預けられて
母が迎えに来るのをずっと待っていました。

一人で寝るのが怖くて、泣き疲れていつの間にか眠ってしまい、
明るくなるころに母が迎えに来るという生活を送っていた記憶が
微かにあります。



私には本当の父親の記憶が全くありません。
どんな顔なのか、何をしている人なのかも全く知りません。
そのぬくもりすら記憶にありません。


母の話によると3歳の時に両親が離婚し
母は女で一人で私を育ててくれました。

夜はスナックで働いていたので夜間保育に預けられていました。

物心ついたら、もう既にそういう生活でした。

だからお父さんが居ないという寂しさすら分かりませんでした。


そしていつの日か、知らない男の人が私を迎えに来るようになりました。

その人がいつの間にか私の父親になったのです…



ママと離れるのは寂しくて、毎日、心細さで一杯でした。
そのおかげで私は大人になってから、睡眠障害に悩まされる事になりました。

つい最近までぬいぐるみを抱いて寝ないと眠れない人でした。




その変わり、母はものすごく私に愛情を注いでくれました。


その反面、頑張っている母の愛情に答えなければと思うようになり
とにかく母を困らせてはいけないと思い
いつの間にか自分の意見を言わない「いい子」ちゃんを演じるようになりました。



大人になってからからですが、
母がくれる愛と自分の欲しかった愛が違っていたということが
分かりました。

そのせいで母と良くケンカをしたり、イラっとすることが多かったです。





第二章 食に対する興味、関心が芽生えた


小学生の時、嫌いな食べ物を残さず食べなければならなくて
給食の時間が大嫌いで、学校を休んでしまうほどでした。


しかし中学生の時から不思議と給食の時間が大好きになりました。

温かくて美味しいご飯をみんなで食べる事が出来る喜び。
それがとても楽しくて

進路を決める時にみんなに素敵な料理を届けたいと思い、
将来は「給食を作る人になりたい」と思い

高校で調理師免許を取れる専門学校に進み、
卒業後に栄養士の免許を取る為に専門学校に通いました。



しかし19歳の時に突然、卵アレルギーになり、
普通に食べていたものが食べられなくなりました。

それから食べる事が恐怖になってしまいました。

今では卵アレルギー用の食材が多く、選択できますが

15年以上前にはまだそういったものがごくわずかで、相当苦労しました。

そんな時、マクロビオテックに出会い(以下、マクロビ)
マクロビの学校に通い、
その食事療法を実践した結果、6年もかかりましたが改善しました。


それとほぼ同時期に生理が来なくなり
約10年間生理が来ない状態が続きました。


私の心と身体は見えないストレスが相当かかっていたのです。
当時は全くその事に気づきませんでした。




第3章 育ての父親に肺がんが見つかる


自分の体調は良くなってきたものの、私が27歳の時、育ての父が肺がんに
なり、余命三か月と宣告されました。



父は延命治療は望まず、緩和ケアという方法で今を楽しく好きな家で
家族と過ごす事を決めたのです。

私にできる事は少しでも長く生きられ、その間身体が楽であって欲しいと思い
マクロビで肺がんに良いとされるメニューを作り
毎日、食べて貰いました。


その甲斐あってか寿命は少し長くなったものの
10か月後に父は息を引き取りました


最後まで自力で食事をして、自力で排泄をしていました。



私はその経験から「食べる事は生きる事」だと痛感させられました。



血の繋がりはなくても無条件の愛で、
私のやりたい事を応援してくれて見守ってくれた父に感謝の気持ちで一杯です。




第4章 ヒーリングとの出会い

父が亡くなるタイミングとほぼ同時にヒーリングというものに出会いました。
当時はスピリチュアルな事は全く分かりませんでしたが、友達のホームパーティーで
あるヒーラーさんと出会いました。
そのおかげで今の私があると言っても過言ではありません。


父が亡くなり、落ち着いた頃にどっと疲れが出たのか体調が悪くなり、
「そうだ、ヒーリングというものを受けてみよう」と思い連絡をしてみました。


受け終わると全身が軽くなり、光に包まれるような感覚になりました。

それは自分でも習えるとのことだったので、レイキヒーリングというものを
マスターしました。


日に日に自分が癒されていくのを感じ、
宇宙の神秘の力を信じるようになりました。



第5章 母親の病気が発覚

育ての父が亡くなってから3年後、母が心臓の病気で入院する事になりました
原因不明で、正式な病名も分からないままでした…。



父の次は母か…、どうして私の人生は次々とこんなことが起こるのだろう…。

私は人並に幸せな人生は送れないのだろうか…。


母の病気を知った時に出会ったのがヤングリビング社のエッセンシャルオイルでした。

アロマは昔から好きで、たまに家でも使っていましたが、

私が出会ったエッセンシャルオイルは今までのものとは違い、
直接肌に付けても大丈夫な純度の高いもので、その香りは身体だけでなく、
心の中にあるモヤモヤしたものを
瞬時に消し去ってくれました。


おかげ様で
私自身も大分癒されたのですが

大切な母親に元気になって欲しいという思いから

心臓病って心の病と言われる位だから

母の助けになるはずだと思い、母にも使ってもらう事にしました。

母は最初は興味がなかったようでしたが、使っていくうちに
日に日に明るくなり
どんどんアロマに魅了されていきました。


発症から3年後にようやく母の病名が診断され「心サルコイドーシス」という難病に指定されている病気でした。

その後、母は何度も入退院を繰り返しましたが、ヒーリングとエッセンシャルオイルの
おかげで順調に回復し、

母は見た目からは心臓病を患っている人とは思えないほど元気で

いつもニコニコしていて、居るだけで周の人を明るくするような存在です。





第6章 結婚を猛反対される

母の病気も落ち着き、私もようやくこの人と一緒に居たいと思う人が現れ
34歳の時に結婚をしたのですが、最初は母親に猛反対されました。


過保護だった母

幼少期の不安から親離れするのが怖かった私。

今、思えばお互いに依存していたのですが、

母親の娘を手放したくない、一人取り残されてしまう…
と言う思いがエスカレートして
主人に対して、物凄く嫉妬をするようになったのです。

更に主人は脳腫瘍があり、娘も自分と同じ看病生活になるとこを心配し
反対されました。


ここで親子の対立が起き、ケンカが絶えない日々が続きました。



自由になりたい私
娘を取られたくない、私から離れないで欲しい…と言う母。

壮絶な親子バトルを繰り返す日々が続きました。



母は心配することが愛

私は自由に見守ってくれる事が愛だと思い

二人の愛はどんどんすれ違っていきました。


母親も同じヒーラーさんにお世話になっていたので

親子でヒーリングセッションに通ったり
インナーチャイルドについて学んで、癒したりしました。




何度もセッションを重ねていくうちに
母の心配や嫉妬も私に対しての愛だったんだと気づいたのです。

母は私の事を分かってくれない、いつもやりたい事を反対する。

私はそんな母が憎かったし、そこから自由になりたかったけど

幼少期のトラウマからか、私自身が母と離れ離れになるのが怖かったのです。


後から気づいたのですが、結局、母と私は同じだったのです。


そして反対する度に愛されていないとずっと思い込んできたけれど

母は私をとても大切に育ててくれて
沢山沢山愛情を注いでくれていたんだって
気づいたのです。

その時、母を心から許せる事が出来たのです。

そうしたら母が結婚を許してくれたのです。



第7章 妊娠発覚、喜びもつかの間…

以前よりも大分、穏やかになったものの、まだまだ親子の確執は続きました。


結婚して4か月後に妊娠が発覚しました。
というのも籍を入れて2か月後に主人の脳腫瘍の再発が判明し、
手術をすることになりました。

手術をすると抗がん剤、放射線治療を行うので
それまでに子供が欲しいと思っていたので
妊娠が分かった時は
とっても嬉しく夫婦で喜びました。

ですが母が妊娠を喜んでくれなかったのです。

その時は本当にショックでした。

「母親なら普通に喜ぶでしょう」と私の怒りがまたもや勃発。



母からすれば主人の病気のことで私が大変な思いをするのが目に見えているし
生まれて来る子供に万が一の事があっては大変だと心配していたのでしょう…。

私は味方になって欲しかったし、祝福して欲しかったのです。


初めての妊娠ということもあり喜びと不安で一杯だった矢先に
母親や周りの人達が心配で祝福してくれないという事もあり、
それだけが原因ではないと思いますが

なんと流産してしまったのです…。



第8章 徹底的に自分を癒し、自己愛を学ぶ。


流産後、私は何故、このような事が次から次へと起こるのか…。
もうその負のスパイラルから抜け出そうと思い
レイキを教えてくださった人の元で長期講座を受ける事にしました。


そこで徹底的に母親への怒りの感情を解放したり
何故、そのような事が立て続けに起こったのか。

その原因となる心の仕組みを学んだり、
インナーチャイルドを癒したりして
徹底的に自己愛を学びました。

ワーク中は沢山泣く事もあり
自分と向き合う場面も多々ありましたが
そのおかげで本来の自分らしさを取り戻す事が出来るようになったのです。


そして全部、自分が創っていたんだということに気づいたのです。

そして母の嫉妬や心配は、
母から見たら私への愛の証だったということに気づいたのです。


そして足りない、愛されていないという欠乏の世界から抜け出せたのです。


私が私を愛していなかったから、
母が私を愛してくれないという現象を引き起こしていたのだと
気づいたのです。

私は流産したことで母を責めましたが、同時に自分も責めていました。

それを辞めて、自分自身を否定しない。
どんな自分も受け入れるということを
少しづつ始めていったのです。



その時、私の中に新しい命が芽生えたのです。



だから私は今度こそ、この命を大切にしようと思ったのです。


そして生まれてくる我が子の為に、自分自身ももっと輝きたいと思ったのです。



2回目の妊娠をきっかけに私の中で
ある変化が起こりました。



母親との関係で苦しんでいる人達に向けて
何か私に出来ることはないだろうか…。


そう思って、以前からやりたかったセラピストとしてのお仕事と

小さい頃からの夢だったお料理教室を開きたいということ。


この二つを叶えたくて

ヒーリングKitchenというサロンをオープンさせようと思ったのです。


お腹の中に居る赤ちゃんが私に勇気を与えてくれました。


これから始まる第二の人生は

明るく楽しく、自分らしく生きていきたいなと
思っています。




壮絶な母親との関係の中で
見つけた自分を愛する為の秘訣を

皆さんにもお伝えできればいいなと思っています。




最後までお読み頂きありがとうございました。


ゆき笑